三保の松原道中
天明7-8年(1787-1788)
この作品は駿河の二丁町に住む通人 酒楽斎滝麿が四方赤良(太田南畝の狂歌師としての名)の門に入った記念として刊行された作品で、上部には四方赤良や門人の狂歌が添えられている。図には色鮮やかに着飾った旅の一行が描かれているが、実は江戸近郊の物見遊山の様子であるが、その背景に見えるのは三保松原である。久能側から観た松原と富士山を描いたのは、駿河住人の酒楽斎に関係した内容としたためである。
天明7-8年(1787-1788)
この作品は駿河の二丁町に住む通人 酒楽斎滝麿が四方赤良(太田南畝の狂歌師としての名)の門に入った記念として刊行された作品で、上部には四方赤良や門人の狂歌が添えられている。図には色鮮やかに着飾った旅の一行が描かれているが、実は江戸近郊の物見遊山の様子であるが、その背景に見えるのは三保松原である。久能側から観た松原と富士山を描いたのは、駿河住人の酒楽斎に関係した内容としたためである。