芸術の源泉 三保松原

絵図Illustration

  • 絵図三保ノ図

    江戸時代後半(19世紀初)に、駿府城(静岡市葵区)へ派遣された大名家に残された絵図。興津の清見寺越しに見える富士山、羽衣の松と浜辺で漁をする人々、御穂神社境内などが詳しく描かれている。

    所蔵 / もりおか歴史文化館

  • 絵図大日本沿海興地全図 第107図 駿河・遠江

    伊能忠敬が作成した日本地図は、総称して「伊能図」と呼ばれ、方位と距離を野帳に記録しながら沿岸や街道を進行し測量する方法で行われた。日本列島を214枚でカバーする膨大なものだった。そのうちの1枚であり、三保半島が貝島崎・弁天崎・真崎の3つに分かれ、当時の姿をほぼ正確に描いている。

    所蔵 / 国立国会図書館

  • 絵図嘉永7年以前清水湊絵図

    嘉永7年(1854)~安政2年(1855)にかけての一連の地震は安政の大地震として知られ、清水湊も地盤の隆起や出火などの災害にみまわれた。本図の上方には、清水湊から東は伊豆下田まで、西は天竜川河口の掛塚までの海上里数が書かれている。

    所蔵 / 静岡市

  • 絵図絹本著色富士曼荼羅図

    表口(構成資産の大宮・村山口登山口)からの景観を描いたもので、画面下方に清見寺、駿河湾、三保松原を描き、富士山頂は三峰に描かれ、名所絵によくある定型の構図。富士山内に描かれる建物は霞で分割され、険しい山容の姿を表現するとともに、下から上に行くほど聖域性が増す構造となっている。

    所蔵 / 富士山本宮浅間大社

  • 絵図三国第一富士山禅定図

    冨士禅定とは、富士山に登り、悟りに至る修行を指す。富士登山の行程を示した富士登山案内図のひとつで、江戸時代中期以降の作品。画面の左下がスタート地点となり、駿河国より西側の参詣者に対して静岡側からの登山銅を示している。左側に三保松原が描かれている。

    所蔵 / 小山町教育委員会