大日本沿海興地全図 第107図 駿河・遠江
明治6年(1873)
伊能忠敬が作成した日本地図は、総称して「伊能図」と呼ばれ、方位と距離を野帳に記録しながら沿岸や街道を進行し測量する方法で行われた。日本列島を214枚でカバーする膨大なものだった。そのうちの1枚であり、三保半島が貝島崎・弁天崎・真崎の3つに分かれ、当時の姿をほぼ正確に描いている。
明治6年(1873)
伊能忠敬が作成した日本地図は、総称して「伊能図」と呼ばれ、方位と距離を野帳に記録しながら沿岸や街道を進行し測量する方法で行われた。日本列島を214枚でカバーする膨大なものだった。そのうちの1枚であり、三保半島が貝島崎・弁天崎・真崎の3つに分かれ、当時の姿をほぼ正確に描いている。